写真と葉書で綴る 石原純の生涯
5.純の家族
前列左から 紘(ひろし・長男)、いつ(妻)、
統(おさむ・次男)、綏代(やすよ・次女)、
雅代(まさよ・長女)
後列左から 千代(家事手伝い)、純
大正6年 仙台にて (理科ハウス所蔵)
純から紘(ひろし・長男)への葉書、ローマ字で書いている。
『山の中の朝と夕方は寒いくらいです。
谷を流れる水の音がよく雨の降っているように聞こえています。ばこちゃん(綏代)、おちゃちゃん(統)へよろしく。
8月16日とうさま』 (理科ハウス所蔵)
明治44年、東北帝国大学理科大学助教授に任じられ、家族で仙台に転居しました。西欧留学から帰国した後、教授となり大正8年、相対性原理万有引力論文量子論の研究に対し恩賜賞・帝国学士院賞を受章しました。