写真と葉書で綴る 石原純の生涯
2.青春期
明治38年(1904年)7月2日神田にて
後列左が純 (理科ハウス所蔵)
純から橋元いつ(逸子)への葉書
左側は葉書の裏 明治40年4月23日付
(理科ハウス所蔵)
明治36年、父・量が腸チフスにかかり55歳で亡くなりました。このとき純は東京帝国大学理科大学の2年生でした。
東京帝大理科大学理論物理学科卒業後は大学院に進み、長岡半太郎博士の下で学びました。
明治40年、26歳のとき大学同期の友人・橋元昌矣(はしもとまさお)の姉・いつと結婚しました。陸軍砲工学校に教師として勤務しながら、アインシュタインの相対性理論や量子論についての研究をしました。