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「科学者が書いたもの」の中から「理科ハウスの独断」で「本文の一部」を紹介します。

おまけとして解説をつけてみました。科学者がちょっとでも近い存在に感じていただけたらうれしいです。

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第二十一回

『やれば、できる。』 P123

小柴昌俊/著

新潮社 2003年発行


P123

 試作品の光電子増倍管ですら、晝馬(ひるま)社長の会心の笑みが浮かんでくるような素晴らしい出来栄えでした。

 おそらく完成品ならば、電子を千倍以上に強め、たとえば月面上にある懐中電灯の光までとらえるほどの高性能になることが予想できました。さすがは世界に名だたる浜松ホトニクスの技術力です。

 ただ、これが、一個三十万円。

 出来栄えからすれば決して高い値段ではなかったのですが、なにしろぼくらは国民の税金を使わせてもらって実験するわけだから、どんなにこちらが無理を言って頼んだこととはいえ、メーカーの言い値に首肯(しゅこう)することはできません。これは、常日頃から学生に言い続けている、ぼくのポリシーでもあるんです。

 だから、値切りに値切りました。

 「うちの優秀な部下二人を助っ人に送り込んだんだから、開発費は相殺して欲しい。それで原価計算をしてみたんだが、ひとつ十二万くらいで上がるはずだ。申し訳ないが、それでなんとかしてほしい」

 晝馬社長は真ん丸の目をぎょっとさせ、絶句してしまいました。

 結局、一個につき十三万円くらい払ったと記憶しています。なんでもその時、晝馬社長は心の中で、「もってけ、ドロボー!」と叫んだそうですが。


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解説 森裕美子


やるなあ、小柴先生(会うたことあるんで敬称つけるで)。

30万円を13万円に値切ったんや!

半額以下やて、関西人もびっくりやん。


これを1000個使って作ったのが、2002年に小柴先生がノーベル賞をもらうことになったカミオカンデや。

光電子増倍管はレフ電球をでっかくしたみたいな形してて、光をキャッチしてくれるんや。

なんの光かゆうたら、たとえば、外からやってきたニュートリノが、水の中で電子や原子核にぶつかったときに、ぶつかったもんから出る光や。

ニュートリノが光るんとはちゃうねんで。

ニュートリノを直接捕まえるのは難しいけど、光が出たことで見つけられるというわけやな。

カミオカンデの話を書いたら長なるから、もっと知りたい人は『ニュートリノ天体物理学入門』を読んでみて。


理科ハウスは、小柴先生が理事長やった財団法人平成基礎科学財団から小柴昌俊科学教育賞優秀賞をもろてん。

うれしかったでぇ。

2014年のことや。

そのときにサインをもらいに行ったんやけど、色紙に書いてくれはった言葉が「やれば、できる」やった。

いつもこの言葉を大事にしてはってんなあ。

きっと自分の体験からくる言葉なんや。


この本には、その気合で乗り越えてきた人生ドラマが書いてあんねん。

どんだけ前向きやねん、

と思うけど、

ほんまに「やってみたら、できた」になってるからすごいなあ。


小柴先生は「ぼくが本当に幸運だと思ったのは、素晴らしい人たちに巡り会えたこと」やとゆうてはる。

浜ホトの晝馬社長はその中の一人やったに違いないわ。

残念やけど2018年に亡くなりはった。

小柴先生も2020年に亡くなりはったけど、むこうできっとおしゃべりしてはるんやろなあ。


2022年1月16日

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第二十回

『蘭学事始』 P35

杉田玄白/著

片桐一男/全訳注

講談社 2000年発行


P35

 たしか三月三日の夜のことと覚えている。当時の町奉行曲渕甲斐守(まがりぶちかいのかみ)殿の家来で、得能万兵衛(とくのうまんべえ)という人から手紙で知らせてよこしたことには、

 「明日、おかかえ医師の何某というものが千住の骨が原(現在の東京都荒川区南千住五丁目のあたり) で腑分けをするということである。もしご希望であったならば、そちらへおでかけください」 という文面であった。

 かねて、同僚の小杉玄適というものが、以前、京都の山脇東洋先生の門人となって京都にいたとき、先生の企画で腑分けの観察が行われたことがあった際に、この玄適もお供をして行き、親しく観察したところ、古人の説明したことはみなうそで信じられないことばかりであった。大昔は九臓といっていたが、いまはそれを五臓六腑に分類しているのは、後の人の杜撰な誤りである、などという話もあった。そのとき、東洋先生は『蔵志』という著書を出版された。

 わたしは、その著書も見ていたことでもあるので、よい機会があったならば、自分も親しく観察してみたいと思っていたのである。ちょうど、こんなときに、オランダの解剖の書物をはじめて入手したことでもあるので、実物と照らし合わせてみて、どちらが正しいか試してみようと喜び、このうえもなく絶好の機会が到来したものだと、もう骨が原へ出かけてゆくことで、わたしの心はおどりあがらんばかりであった。


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解説 森裕美子


「腑分け」は解剖のことやで。

医師の杉田は、解剖したら身体の本当のことがわかると思うてうれしかったんやろな。

友達もさそって出かけたんや。

ほんで、解剖を見てめちゃ感動してしもたんや。


文中に「オランダの解剖の書物」ってゆうのが出てくるやろ、

これが『ターヘル・アナトミア』や。

感動した理由は、ここに書いてあることとおんなじやったからやねん。

杉田玄白は、これの日本語訳を作りたいて思うたんやなあ。

解剖を見た次の日からもう友達を集めて翻訳にとりかかってるで。


そやけど言い出しっぺの杉田はオランダ語をよう知らんかってん。

医学書やから専門用語が多いし、これは難しかった。

オランダ語の辞書もないような時代やったから、そら苦労したみたいやな。

翻訳するのに3年半もかかってんて。

ようやくできたんが、かの有名な『解体新書』(1774年出版)やねん。


この本はお医者さんには役にたったに違いないけど、それだけで終わりやなかってん。

この本がきっかけで、オランダの本が役に立つことがわかって、蘭学そのものが盛んになったんや。

杉田玄白、がんばったかいがあったなあ。


『蘭学事始』(1815年)は、そのいきさつを杉田が晩年になってから書いたもんやで。

ようするに『解体新書』のメイキングと蘭学仲間の紹介やな。

写真の本には原文もついてるからそっちで読んでもええけどちょっと読みにくいかも。

訳がついててありがたいなあ。

70ページくらいの短い文章やからさらさらっと読めますわ。

文章の最後に杉田が、戦乱の世ではこんなことはでけへんかったやろけど、天下太平のおかげでできた、って書いてるのがめちゃええなあと思いましたわ。


2022年1月9日

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第十九回

『新版 本多静六自伝 体験八十五年』 P231

本多静六/著

実業之日本社 2016年発行


P231

 しかし、再三いうことであるが、渋沢の偉い点はあくまでも合理的な公利公益主義で、いかによさそうな話でも、理屈に合わなければ取り上げようともしないし、またいかに有利有望な事業でも、独り占めにしてウマウマやろうという考えは絶対になかった。どんな計画でもできるだけ念には念を入れ、多くの人にはかってその利益を均霑(きんてん)させるようにした。そうして、いったん自分がそれに名をつらねて責任をもったとなると、どこまでもその面倒をみつづけたのである。しかも、会社創立の場合など、有利有望とみられるあまり、渋沢さんの特株分まで他にうばい去られても、

 「みんなで儲かればそれでいい」

と笑っていたし、また先の見込みがあやしくなって、予定以上の残株を引き受けなければならなくなっても、一向平気で黙って済ましていた。これなぞは、やはり渋沢の大物を物語る話で、私は毎々ながらいたく感服させられたものだ。

(10行略)

 いずれにしても、渋沢という人は、他者の話をよくきいた。そしてよく検討した。そしてよく実行した。私などのような一学究の言でも、それがもし実業上の何かの参考になると思えば、いつも熱心に親身になって耳をかたむけてくれた。


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解説 森裕美子


これは、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一の話やで。

この本には渋沢の他にも後藤新平とか政治家も登場すんねん。

なんでかゆうたら、

鉄道事業とか都市計画に本多静六は大いにかかわってたからやねん。

本多静六(1866~1952) は林業博士で、「日本の公園の父」として有名や。

日比谷公園、明治神宮とかぎょーさんの公園を設計しはってん。

それから、雪の多い東北で鉄道を走らせるってなったとき、防雪林の必要性を進言しはってん。

渋沢はその鉄道の会社(国鉄)の重役さんやった。

林業ってゆうんはみんなにかかわることやし、先の先まで考えとかなあかん。

100年先まで考えられるてすごいことやなあ。

渋沢も豪快やけど、本多もそれに負けず劣らず豪快やでー。

明治の人らはなんでかパワフルすぎるやろ。


本多静六はめちゃぎょーさん本を書いてるねんけど、その中に『私の財産告白』ていうベストセラーがあんねん。

本多は貧乏やったとき、収入の四分の一を貯金してお金を貯めて、

ほんでそのあとお金持ちになりはってんけど、

貯めた莫大なお金を全部寄付してしまうねん。


実はこの本との出会いが理科ハウスを作るきっかけになったんやで。

私が夫から思いがけないお金を相続したときに、このお金をどないしたらええねんやろと悩んでしもてん。

相談する相手もおらんかったから本屋に行ったけど「こうやったら貯められる」みたいな本が多くて

「貯めたお金はこうやって使う」が書いてある本が見つからへん。

そのときに本多静六のこの本をたまたま見つけて読んだらびっくりしてしもた。


背中を押された気がしてん。

そやから本多は私にとっては特別な人や。

理科ハウスがあんのも本多のおかげでっせ。


2021年12月26日

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第十八回

『星界の報告』 P42

ガリレオ・ガリレイ/著

山田慶児、谷泰/訳

岩波文庫 1976年発行


P42

 一六一〇年、つまり、今年の一月七日の翌夜の一時に、筒眼鏡で天体観測中、わたしはたまたま木星をとらえた。わたしはたいへんすぐれた筒眼鏡を用意していたから、木星が従えている、小さいけれどもきわめて明るい三つの小さな星をみつけた(それまでは、ほかの劣った筒眼鏡を使っていたので、発見できなかったのである)。当初、わたしは恒星だと信じていたが、黄道に平行な直線にそって並んでおり、等級もほかの恒星より明るいという事実に、かるい驚きを覚えた。木星にたいするそれらの星の配置は、つぎのとおりである。


 E   ★      ★  O    ★     W


 東には星が二つ、西には一つあった。いちばん東と西との星は、もう一つの星より大きくみえた。木星との距離については、気にとめていなかった。いま述べたように、恒星と考えていたからである。ところが、いかなる運命の導きによってか、翌八日にもおなじ観測にたちもどって、その配置がまったく変わっているのを発見した。次図に示したように、三つの小さな星はみな木星の西にあり、まえの晩より相互に接近していて、いずれも等間隔であった。


 E          O  ★  ★  ★     W


(星の配置図は原文のママではありません)


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解説 森裕美子


この本はガリレイが月、天ノ川、星雲、木星、太陽の黒点を望遠鏡で観察したときの記録を書いたもんやで。

上の部分は木星の衛星発見の最初のとこや。

このとき見つかった4つの衛星イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストは、ガリレイが見つけたから、今では「ガリレオ衛星」て呼ばれてんねん。

望遠鏡で見たことがある人は知ってると思うけど、木星の大きさに比べたらめっちゃちっさいねん。

あるで、て言われへんかったらわからんくらいや。

ガリレイは望遠鏡がよかったから見えたと書いてるけど、見つけたんはえらすぎる。

初めはわからんから恒星かと思た、て書いてあるな。

そりゃそーやな、誰かてそう思うわ。

たまたま木星と並んでるなーと不思議やったやろな。

次の日に見たらまた並んでて、しかも並び方が一直線やておかしいやん。

ほんで、木星といっしょに動いてるでーて気づいたんや。

星の並び方が日毎に違うのんも驚きでしかないわ。

こりゃー大発見やで。

うれしかったやろなあ。


記録は1月7日から3月2日までが書いてある(本には書いてないけどもっと続けてたみたいや)。

曇りや雨の日以外は毎日欠かさず観察してるんや。

まあ、木星の観察はええけど、太陽の黒点を毎日観察するんは、今は絶対やったらあかんやつや。

太陽の光のせいで眼が壊れんねん。

ガリレイは晩年、眼が見えんようになったらしいけど、これが原因なんかな。


月の観察もすごすぎてびっくりや。

クレーター(ガリレイは山とゆうてる)の影を観察して、それからちゃんと高さを計算して「月の山が地球の山より高い」とゆうてはる。


こういう観察力と考える力が、かの『天文対話』につながっていくんやな。

ガリレイのすごさはほんまに半端ないですわ!


2021年12月19日

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第十七回

『新天文学』 P167

ヨハネス・ケプラー/著

岸本良彦/訳

工作舎 2013年発行


P167

 こうしてその時から、観測結果を入手したいと真剣に考えはじめた。そして私の小著に関する意見を求めて1597年にティコ・ブラーエに手紙を書いた。返書をくれた彼が自身の観測にも言及していたので、私は彼の観測結果を見たいと渇望した。それ以来、私の運命の重要な一部ともなったティコ・ブラーエ自身も、自分のもとに来るようにと絶えず私をせき立てたのである。あまりにも遠隔地なので躊躇していたところ、彼のほうがボヘミヤにやって来たのを私は再び神の配剤としたい。そこで、修正された各惑星の離心値を学び取ろうという希望を抱いて、私は1600年の初めに彼の所にやって来た。初めの半月で、ティコもプトレマイオスやコペルニクスと同様に太陽の平均運動を用いていることが判明したが、視運動のほうが私の小著には適切だったので(それは私の著作から明らかになる)、ティコ本人に頼んで、観測結果を私自身の手法で利用できるようにしてもらった。当時、火星論はティコの助手のクリスチャン・セヴェリンが手がけていた。人々が初更の位置の観測つまり火星と太陽の獅子宮9°での衝の観測にたずさわっていたので、時期的な巡り合わせで彼が火星論を手がけていたのである。もしクリスチャンが他の惑星を扱っていたら私も彼と同じ惑星に出会っただろう。

 だから、彼が火星に専念していたちょうどその時機に私がやって来たのも、神の配剤によるものだと思う。火星の運動からの全く必然的な帰結である天文学の秘密を知らなければ、われわれはいつまでも無知のままだからである。


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解説 森裕美子


最初に正直に書いとこ。

私はこの本をちゃんと読んでへんで。

600ページ以上もあってたらたらと説明してあるねん。

むずかしゅうてわからんがな。

そやからパラパラとめくっただけや。


そやけど十分楽しめたわ。

これがあの大発見なんやー!てな。

この本は、ケプラーが見つけた第一法則「惑星は、太陽を焦点のひとつとする楕円軌道上を動く」と第二法則 (説明は省略) を説明したもんなんや。

それまでは惑星の軌道は円やと考えられてたんや。

円やったら太陽と惑星の距離はいつも同じやないとおかしいやろ。

けど、観測したら同じやないねん。

これ、なんでか説明してみーてなるやん。

そんでケプラーが火星で調べたら楕円やったってわけや。

他の惑星ではあかんかってんってケプラーさんはゆうてはる。


火星を研究できたんは神様のおかげやて。

科学者かて神様を信じてるねんで。

それぐらいびっくりすることなんや。


文中に出てくるティコ・ブラーエは天文学者として超有名や。

超新星も見つけてるし、たくさんのエピソードがある人やで。

自分の敷地のなかに天体観測所を作って観測してたんや。

そんで膨大な量の星の観測記録を持ってたんや。

望遠鏡のまだないときの話やで。


この本は1609年に出版されたんや。

コペルニクスの地動説を支持したガリレオ・ガリレイの『天文対話』の出版は1632年やねん。

そやからケプラーのこの本が地動説を支えることになったんは間違いないわ。

本の内容は難しいねんけど、後についてた訳者・岸本良彦さんの解説がものすごう役にたったわ。

この訳を書くのにどんだけ年数がかかったんやろな。

岸本さんは、ケプラーの他の本も訳してはんねん。

ケプラーとおんなじくらいすごい人やと思うわ。ほんま。


2021年12月12日


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第十六回

『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』 イチョウの精虫 P177

牧野富太郎/著

平凡社 2016年発行


P177

 夢想だもしなかったイチョウ、すなわち公孫樹、鴨脚、白果樹、銀杏であるGinkgo biloba L. に、精子すなわち精虫(Spermatozoid)があるとの日本人の日本での発見は青天の霹靂で、天下の学者をしてアット驚倒せしめた学界の一大珍事であった。従来平凡に松柏科中に伍していたイチョウがたちまち一躍して、そこに独立のイチョウ科ができるやら、イチョウ門ができるやら、イヤハヤ大いに世界を騒がせたもんだ。そしてその精虫を始めて発見した人は、東京大学理科大学植物学教室に勤めていた、一画工の平瀬作五郎氏であって、その発見は実に明治二十九年(1896) の九月で、今からちょうど五十七年も前だった。

 こんな重大な世界的の発見をしたのだから、ふつうなら無論平瀬氏はやすやすと博士号ももらえる資格があるといってもよいのであったが、世事魔多く、底には底があって、不幸にもその栄冠を勝ち得なかったばかりでなく、たちまち策動者の犠牲となって江州は琵琶湖畔彦根町に建てられてある彦根中学校の教師として遠く左遷せられる憂き目をみたのは、憐れというも愚かな話であった。けれども赫々たるその功績は没すべくもなく、公刊せられた『大学紀要』上におけるその論文は燦然としていつまでも光彩を放っている。むべなるかな、後明治四十五年(1912) に帝国学士院から恩賜賞ならびに賞金を授与せられる光栄を担った。


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解説 森裕美子


イチョウの精子やて、見たことないなあ。

裸子植物にも精子あんねんや!って大騒ぎになったんやなあ。

これで進化の様子がちょっとわかったんかな。

この精子を見たかったらイチョウの雌の木を探すんやて。

おかしいやん、精子やから雄の木やろと思うやんか。

雄の木から花粉が飛ぶのは春やな。

ほんで飛んで来た花粉が雌花にくっついて、やがて秋になってからその花粉から精子が2個できて、泳いで卵にたどりつくねん。

そやから秋に雌の木の黄色くなる前の実の中を探せば見つけられるそうや。

やり方は『たねの生いたち』(西田誠/著 岩波科学の本 1972年) に詳しく書いてあるで。


牧野富太郎は植物図鑑でお世話になってる人が多いやろな。

牧野は植物が好きすぎて自分のことを植物の愛人やてゆうてはる。

好きなだけあって植物のことにはうるさいで。

漢字で書く紫陽花(アジサイ)、馬鈴薯(ジヤガイモ)、蕗(フキ)、杉(スギ)、山茶花(サザンカ)とか他にもいっぱい使い方がまちごうてるで、と書いてある。

へぇー、そうなんかあ。


牧野は、みんながもっと植物に興味を持ったらええのになあ、植物ってこんなにおもしろいでぇって一つ一つの説明を書いてくれてはる。

これを読んでしもたら植物をもっと真剣に見たなるなあ。

牧野富太郎の博物館は、出身地の高知県に大きな植物園があるし、東京都にも練馬区立牧野記念庭園記念館とゆうて牧野が30年間住んでたところが素敵な博物館になってるで。

よかったら行ってみてな。


2021年12月5日


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第十五回

『夾竹桃(きょうちくとう)』 チューリッヒに於けるアインシュタイン教授 P69

石原純/著

文明社 1943年発行


P69

 ヨーロッパに行って私はアインシュタイン教授に親しく接する機会を得ることを私の最も大きなよろこびの一つに期待していました。しかし最初の半年を先づドイツのミュンヘンで、次の半年をベルリンで過ごしたので、アインシュタイン教授の居られるスイスのチューリッヒに赴いたのは、その翌年の四月でした。もちろんこの頃(1913年) はまだ一般相対性理論はでき上がっていなかったので、彼の名は物理学界のなかでしか知られていないのでしたが、私はこの理論についての幾らかの研究を果していたのでそれを切に望んでいたのでした。スイスという国では、普通にポリテクニクムと称へている工業大学が国立で大規模につくられて居り、そのなかに純粋な数学や物理学や物化学などの教室もあって、アインシュタイン教授もそこの物理学教室に居られたのですが、この外に州立の大学もあったので、ここには同じく相対性理論の研究者として知られているラウエ教授が居ました。このラウエ教授とは、私は日本にいた頃から論文を交換したこともあり、また前年にはミュンヘン大学に居られたので、そこで能く知り合いにもなっていたので、チューリッヒに来て再会したのは奇妙なめぐり合いでもあり、それだけに親しい感もあったのでした。


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解説 森裕美子


じーちゃん(石原純)、ラウエとも知り合いやったんか!

ラウエって誰やねん!ってゆう人がほとんどやと思うから説明しとくわな。

ラウエは、X線回折現象の発見で1914年にノーベル賞もろてはんねん。

X線の波長は原子の大きさに近いから、分子の中の構造を調べるのにちょうどええ長さやったんや。

波長が長いとそれより小さいもんは調べられへんから可視光ではあかんのやな。

X線やったら結晶の中の原子や分子がどんなふうに並んでるのかがわかるねんて。

かの寺田寅彦(おもしろ科学史エピソードの第六回参照)もX線回折現象の研究してはった。

ワトソンとクリックがD NAの二重らせん構造の発見できたんもX線回折写真のおかげやった。

タンパク質の構造を調べたりするのにも使われてるで。

そんなわけでラウエは有名な物理学者や。


この本は石原純の随筆集やねん。

随筆の他にも詩や和歌も載ってるで。

文を書くのは好きやったんやろなあ。

大学に入るとき、理系に行くか文系に行くか迷うたてどっかに書いてあったなあ。

いろいろあって東北帝国大学の教授をやめてからは、本を書く人になったんや。

研究者もよかったけど、本を通して科学を伝える人になったんはよかったこともあると思う。

科学っておもしろそうやってぎょーさんの人が思うてくれはった。


ちょうど一昨日、知り合いからメールが来てん。

東大の駒場博物館でやっている「物理学者・久保亮五の研究と人生展」を見てきたんやけど、展示の中に久保に影響を与えた人として石原純が出てたでーって教えてくれたんや。

じーちゃんはやっぱりすごすぎたなあ。


2021年11月28日


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第十四回

『フランクリン自伝』 P282

ベンジャミン・フランクリン/著

松本慎一・西川正身/訳

岩波文庫 1957年発行


P282

 この新知事の在任中に公共の問題で私が演じた役割について話を進める前に、ここで少し私が科学者として名声をうるようになった次第を述べておくのも不都合ではあるまい。

 1746年にボストンへ行った時、私はそこで最近スコットランドからきた人で、スペンスという博士に会い、電気の実験をして見せてもらった。博士はあまり熟練していなかったので、実験は完全には行かなかったが、実験の対象が私にはまったく新しいものだったので、私は驚きもし喜びもした。フィラデルフィアに戻るとまもなく、ロンドンのイギリス学士院の会員ピーター・コリンソン氏から組合図書館にあてて、この種の実験に使う時の心得書を添えてガラス管を一本寄贈してきた。私はこれ幸いとばかりにすぐさまボストンで見た実験を繰返し、また大いに練習した結果、イギリスから説明書のきた実験がとてもうまくやれるようになっただけでなく、新しい実験もいくつかできるようになった。いま大いに練習したと言ったが、実際当分の間というもの、私の家はこの新しい奇蹟を見に来る人でいつも満員だったのである。


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解説 森裕美子


フランクリンはアメリカ建国の父や。

そやからこの自伝はアメリカではベストセラーなんやて。

知らんかったわあ。

私は、フランクリンは凧揚げで雷から電気を取り出した人として覚えてたんや。

ほんで、この本を読んでみたけど、なかなか雷の話が出てけーへんかったから、なんでやねん!と思ててん。

そしたら上の文章のようにちょこっとだけ書いてあったわ。

その後に、これは電気学史の中に出て来るはずやからこの本にその実験の話を長々と書くのはやめとくわって書いてあんねん!

もっと読みたかったのになあ。


フランクリンは他にもっと書いておきたいことがぎょーさんあったんやろな。

組合図書館(お金を出し合って作る)や他にも大学、病院を作るのに尽力したこととか、自分を律するための13個の徳についてとか。

徳ってゆうんはわりと具体的な、「飽くほど食うなかれ」とか「自他に益なきことを語るなかれ」とかや。

自分で書いておきながら守られへんねん、て自己反省もしてはる。

フランクリンが政治家として活躍できた理由のひとつは、みんなが暮らしやすうなるための工夫を次々と生んだってゆうのがあると思う。

ストーブや街灯を改良した話が出てくるんやけど、科学的にちゃんと考えてできる人やった。


話を戻すと、フランクリンの電気の実験はだんだんとすごい評判になってん。

電気とゆうても静電気しか知られてなかった頃やから、電気学史に残るくらいの大発見やったんや!

ほんで、1753年にイギリス王立協会からコプリー賞をもらいはった。

まだノーベル賞はない頃の話や。


科学者としてのフランクリンをもっと知りたかったら、『フランクリン』(板倉聖宣著 仮説社1996年) を読んだらええと思うわ。

わかりやすいで。

2021年11月21日


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第十三回

『宇宙に秘められた謎』 宇宙を知るためのガイド P41,45

スティーヴン・ホーキング/著

さくまゆみこ/訳

岩崎書店 2009年発行


P41

 わたしたちはなぜ宇宙に行くのでしょう?

 月の石を少しばかり持ち帰るために、なぜ多くの努力を重ね、莫大なお金を使うのでしょう? もっとましなことが、この地球でもできるのではないでしょうか?

P45

 一四九二年以前のヨーロッパにも、同じように考える人がいました。その人たちは、莫大なお金をかけて雲をつかむような探検にクリストファー・コロンブスを送り出すのはむだだと思っていたのです。でも、コロンブスはアメリカに到達し、そのことによって、時代は大きく変わったのです。わたしたちが今ビッグ・マックを食べられるのも、そのおかげかもしれないし、もちろん、ほかにもいろいろな変化が起こったのです。

 今のところ、宇宙旅行といってもそう遠くまで行けるわけではありません。じつは、とてつもない距離を超えて進む方法さえまだわかっていないのです。しかし今後二00年から五00年の間には、その方法を突き止めるという目標を持つべきです。人類は、約二00万年前から別個の生物種として存在してきました。文明は約一万年前から始まり、それ以来、発展の度合いは着実に増してきています。そして今、これまでだれも行ったことのない場所へ大胆に出ていく段階に来ているのです。その結果、何を見つけ、だれに会うかは、まだだれにもわかりません。

きみたちの宇宙の旅がうまくいくように、そしてこの小さな本がきみたちの役に立つことを願っています。

 宇宙での幸運を祈って。


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解説 森裕美子


紹介した本は『宇宙への秘密の鍵』『宇宙に秘められた謎』『宇宙の誕生』の3部作のうちの2冊目や。

内容は、主人公のジョージが宇宙を大冒険する物語で、著者はルーシー・ホーキング、博士の娘さん。

ワクワクするようなフィクションの物語やけども、合間にコラムが挿入されててな、ホーキングをはじめ、いろんな博士が宇宙について説明してくれてはる。

ここだけフィクションとちゃうんや。

コラムだけ読んでも楽しめるやん。


2018年、76歳の理論物理学者ホーキング博士は亡くなりはった。

ブラックホールの研究で有名やった。

ホーキングが書きはった本はよう売れるみたいや。

なんでやろな。


書いてあることは、哲学的で難しぅて全部はわからへん。

ホーキングが有名なんは、車椅子の科学者やからというだけやないと思うわ。

チャレンジャーで、前向きな生き方がみんなに元気をくれるし、ジョークもうまいしな。

けどやっぱりすごいのは、今、わかっていることだけやのうて、私らに未来の宇宙を見せてくれるからやろな。

光までも吸い込んでしまうと言われてるブラックホールはゆっくりと蒸発してしまうねんでぇてゆうてはる。

ほんまかな。


ホーキングは著書『ホーキングの最新宇宙論』(日本放送出版協会 1990年)で、難病にかかってるってわかったときのことを書いてるで。

それまでは怠惰な大学生やったけど、「早死にするかもしれないという現実に直面すれば、誰でも命の大切さや、やるべきことが山ほどあることに気づくものです」と思てがんばりはった。

病気やったのにこれができたんは、えらすぎるやろ。

もうホーキングの新しい本はないんやなと思たら残念やなあ。


2021年11月14日


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第十二回

『物理学者の眼』 アインシュタイン先生の想い出 P332

湯川秀樹/著

学生社 1961年発行


P332

昭和二十三年に私はプリンストンの高等科学研究所に招聘されたので、先生とはたびたびお目にかかる機会ができた。私の部屋は研究所の三階にあり前の広い芝生が一目で見渡せた。朝十一時ごろになると芝生の中の道を向うからゆっくりと歩いてこられる先生の白髪が一目でそれとわかった。先生は質素というか簡素というか、身なりも住居にもゼイタクということには全然関心を持たれなかった。自動車その他文明の利器を利用することさえも好んでおられなかったようである。研究所へ入って来られてもエレベーターには乗らず、コツコツと階段を上ってゆかれるという風だった。先生がプリンストンに落着かれた当時、あるエレベーター会社が二階しかない先生の家にエレベーターをつけようと申込んできた。先生の周囲の人がビックリしてこの申出を断わったという話も聞いている。エレベーターのいるような豪壮なお宅ではもちろんなかったし、また仮にエレベーターをつけてもそういうものを利用されなかったに違いない。先生とお会いしてよもやま話をしていると、先生の人間としての温かさがひしひしと感ぜられた。自分は東洋人だということをいつも私にはいわれた。そういう言葉の中にはアメリカの機械文明に対する皮肉が幾分か含まれているように私には感ぜられた。かっての日本訪問は先生にたいへんいい印象を与えたらしく、改造社長山本実彦氏や石原純博士のことをなつかしく想い出しておられた。


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解説 森裕美子


アインシュタインの人柄とかについて語ってる文章はぎょーさんあるなあ。

アインシュタインがいてはったプリンストン高等科学研究所に行った人はたいてい書いてるねん。

アイドルなみの人気やで。

まあ、誰でも知ってる有名人やからな。


中学生に「知ってる科学者の名前ゆーてみて」とお願いしたら、たいていアインシュタインやな。

あとはニュートンくらいしか出てきーひん。

子どもにも人気のアインシュタイン。

なんでこんなに有名なん?


著者の湯川秀樹は1949年に日本で最初のノーベル賞もろた理論物理科学者。

この文章のころには、石原純(じーちゃん)はもう死んでしもうてたんやけど、アインシュタインはじーちゃんのこと、ちゃんと忘れんと思い出してくれてはってんなあ。

アインシュタインと親しくしてた日本人ってどのくらいおるんかな。

そもそもアインシュタインは社交的やなかったからなあ。

湯川秀樹もその数少ないうちの一人やったんや。


この文章の終わりのほうに「私が日本に帰る前、映画を撮られることになった」ってゆうのが書いてあって、

アインシュタインにも出てもろたーて書いてある。

ふーん、と思うてググってみたらYou Tubeで 40分くらいの映画「ものがたり湯川秀樹1954年」を見つけたで。

湯川の家族が俳優みたいやなあと思たけど、みんな本人やな、たぶん。

アインシュタインもちょっとだけ出てて、もちろん本物で動いてて感激してしもたわ!


2021年11月7日


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第十一回

『相対性理論』 世界大思想全集 48 P124

アインシュタイン/著

石原純/訳

春秋社 1930年発行


P124

 「幾何学と経験」

私たちの空間が無限であると言うのは何を意味しているのでしょうか。それは私たちが大きさの等しい物体をどんなに沢山並べても空間を充たすことが出来ないということに外ならないのです。今大きさの等しい立方体の賽(さい)をつくったとしてみましょう。それをユークリッド幾何学に従って上にも下にも横にもお互同志並列させて勝手にどこまでも大きな空間を充たすことが出来ます。この並べ方は、併(しか)しどこまで行っても決しておしまいにはなりますまい。いつまで新しい賽(さい)を外へおいても、おき場所のなくなることはないでしょう。これが空間の無限であるということを言いあらわしているのです。


(8行略)


そこで私たちは二次元の連続体であって有限であるが、併(しか)し限界のないものの例を挙げて見ます。大きな地球儀の表面と、たくさんの等しい円形の小さな紙片とを取出してごらんなさい。この円い紙片の一つをどこまでも表面においてみます。私たちが指でその紙片を地球儀の上で勝手に移動させますと、どちらへ歩いても決して限界に衝き当たることはありません。私達はそれ故に地球儀の球面を限界のない連続体と言うことが出来ます。その上、球面は一つの有限な連続体です。


(13行略)


相対性理論の最近の結果によりますと、私たちの三次元の空間もほぼ球面的であることは確からしく思われます。即ちそのなかにおける剛体の配置法則はユークリッド幾何学によってでなく、十分大きな範囲を考えに取りさえすれば、寧ろほぼ球面幾何学によって与えられるのです。ここに読者の直観が革新されるべき点があるのです。「こんな事は誰だって考えられるものじゃない」彼は激してそう言うでしょう。「それは言うだけのことで考えられはしない。なる程球面は考えられるけれども、それの三次元の類推は無理だ」と。


(旧仮名づかいを読みやすくするために直しました)


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解説 森裕美子


これは1921年1月27日にベルリンでアインシュタインが講演したのを書き起こしたもんやで。

なんか難しそうなことゆうてるけど、宇宙の形について語ってはんねん。

そんで、びっくりするようなこと書いてあったから紹介しときますわ。


私は、宇宙って果てがなくどこまでも広がってるんやろなあ、と思ててん。

アインシュタインはそやないとゆうてはる。

宇宙は果てはないけど有限やと。

宇宙の形は3次元球面やとゆうてはる。

3次元球面って何? てなるやろ。

地球の表面みたいなもんか?

いやいや、それは2次元球面なんやで。

緯度と経度がわかったら場所を決めることできるやろ。

2個の数字で表せるから2次元球面なんや。

この球面はいわゆるユークリッド幾何学の平面にはおさまりきらんで、3次元空間やったら見ることができんねん。

これはわかるねん。


この考え方を、もうひとつ次元をあげるんや。

3次元球面ってゆうのは4次元の中で見ることができる球面ということらしいで。

そやけど、これはアインシュタインの考えた宇宙の形やから本当かどうかはまだわからんで。

理論物理学者のジョージ・ガモフは、宇宙は無限に広がってるってゆうてるしな。

宇宙の形はまだいろんな考え方があるみたいや。


どっちにしても、4次元の世界はおもしろそうやなー、ということで理科ハウスでは「多様体への道」っていう生解説動画を作ったんや。

みんなでワイワイしゃべりながら、頭の中でぐるぐる考えるんはめちゃ楽しい。

よかったら見に来てな。


アインシュタインの著書にもっと興味がある人は『特殊および一般相対性理論について』(アインシュタイン/著 金子務/訳 白揚社 2004年)も読んでみてな。

宇宙の形のことも書いてあるで-。


2021年10月31日


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第十回

『ピエル・キュリー傳』P112

キュリー夫人/著

渡邊慧/訳

白水社 1942年発行


P112

 彼の科学的問題に関する他人との交渉において、彼は角立ったようなところを示したことは一度もありませんでした。彼は自愛心や個人的感情によって自らを動かすようなことを決して致しませんでした。あらゆる美しい成果が彼に取って歓びの源となりました。彼自身が最初の発見者であると主張出来るような分野においてさえ同様でありました。

 「他の人が発表しさえすれば、何も僕自身が発表しなかったって構いはしない。」と申すのでした。彼の考えでは、科学に関しては事実に注目すべきで人には注目してはいけないのでありました。競争心というものはおよそ彼の感情に正反対なものであって、それが競争試験とか、中学校の席次とかいう形においてでも、又は栄誉とか表彰という形においてであっても、すべて張合いということを彼は罪悪視しておりました。彼が科学的な仕事に向いていると思った人に対しては、必ず助言とか激励とかを与えました。それらの人のある者は、彼に対して深い感謝を後々まで心の中に抱いておりました。

(旧仮名づかいを読みやすくするために直しました)


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解説 森裕美子


キュリー夫人が書いた本を探してたらこの本を見つけたで。

淡々と書いてあるねんけど、めちゃめちゃ愛のこもった本やったわ。

夫の伝記を書くのはどうやろな。

書きにくいちゃうん。

キュリー夫人も最初は断ったけど書くことになった、と打ち明けてるし。

世間ではキュリー夫人のほうが有名になってしもうて、ピエルのほうはあんまり知られてへん気がするなあ(私が知らんかっただけか?)。

夫婦でノーベル賞もろてるけどな。


ピエルの研究は私らの生活に役立ってるのがけっこうあるで。

たとえばクォーツとか圧電素子(チャッカマンに使われてる)。

結晶の研究してて、結晶に力加えたらどうなるかなあとか、電気流したらどうなるかなあとか、いろいろやってみたんやろな。

それから「キュリー温度」。

磁石を熱して温度を上げたら、ある温度で磁力がなくなってしまうねん。

その温度のことを、キュリー温度ってゆうんや。


ピエルは、出世なんかどうでもええ、とにかく研究やりたい!の人やったみたい。

ラジウムから出る放射線を研究してたとき、自分の腕にラジウムを当ててどうなるか実験してたんや。

そんで、ひどいやけどみたいになってしもてな。

人体実験やで。すごすぎるわ。

ふつうの家族やったら「やめときー」てゆうてしまうわ。

けど、キュリー夫人やったからなあ。

ピエルにとってはキュリー夫人に出会えたことは、ほんまに幸せなことやった。

ものすごい理解者やったと思うわ。

まあ、お互いにな。


ピエルが馬車にひかれて亡くなったんは46歳のときやってん。

早すぎるし、突然やった。

キュリー夫人の落胆は相当なもんやったみたいやな。

研究があったから立ち直れたんかな。


古いけど、映画の『キュリー夫人』(1943年)はピエルのこともわかるし、なかなかええで。

本を読むのがめんどくさい人は見てみて。

2021年10月24日


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第九回

『怠け数学者の記』 プリンストンだより P262、267、271

小平邦彦/著

岩波現代文庫 2000年発行


P262

11月21日

 今僕の今度の大発見の最後の一コマが完成しつつある所。これが出来れば、今までの僕の論文の中で一番のケッ作になる筈です(おかしなことに、英語は一寸も進歩しないのに漢字を少し忘れました。変な所に仮名を使うのはそのためです)。


P267

 12月19日

・・・・・朝永先生は二、三日前からニューヨークへ行って歯を直しています。今日来た葉書によると先生歯を全部引っこ抜かれて八十歳位の顔になったそうです。明日ニューヨークへ行って八十歳オジイサンの朝永先生とシカゴで世話になった学生ギャフネイ氏と三人でお昼を食べる積りです。


P271

 1月4日

・・・・・お雑煮のない筈のお正月が、日本でも仲々食べられないような日本料理を御馳走になって、流石世界一のニューヨークなる哉と大いに感心しました。しかし、あまり食べ過ぎと飲み過ぎで朝永先生は風邪をひいてお腹を悪くしてしょげています。僕は余り飲まなかったから何ともないけれど。この前書いたかも知れないけれど、朝永先生は歯を全部引っこ抜いて総入歯を入れて、すっかり若くなりました。アメリカ製の歯を入れると日本語が下手になって英語がうまくなるから不思議です。


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解説 森裕美子


これは、小平邦彦がアメリカのプリンストン高等研究所で研究してたとき、単身赴任やったから妻に宛てた日記や。

戦後から4年しか経ってない1949年のことやで。

小平は数学のノーベル賞と言われているフィールズ賞という、ものすごい賞を受賞している数学者。

大学では数学科を出た後に、さらに物理学科も出て、そのあと数学博士になったんや。

小平の専門は複素多様体(説明してみよと思て調べたけどわからん日本語やった)。

ユークリッド幾何学とはちょっと違うけど、宇宙の形とかにもめちゃくちゃ関係ある新しい考え方の「図形」みたいなもんかな。


日記には、なんか「朝永先生」が何回も登場するねん。

(朝永振一郎については「おもしろ科学史エピソード」第五回を読んでみて)

二人は同じ家の2階の別の部屋に下宿してたから、しょっちゅういっしょにおったんやな。

小平は「朝永先生」を観察するのが楽しそうや。

笑いのネタにしてるやん。

朝永は1906年生まれやから40歳代で総入歯になってしもたんか。

かわいそうやな。


それからこの年は湯川秀樹がノーベル賞もろた年やねん。

湯川もこのとき同じプリンストン高等研究所の客員教授やったから、二人で湯川の家に行ってお祝いしたりしてる。

みんな仲よーて楽しそうやわ。


小平の日常で私が驚いたんは「毎日十二時間寝ます」と書いてあることや。

これはほんまにびっくりやで。

みんなも小平に見習って、もっとたくさん寝たほうがええでー。


2021年10月17日


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第八回

『力と物質』 P9

マイケル・ファラデー/著

稲沼瑞穂/著

岩波文庫 1949年発行


P9

 私は、あなたがたのクリスマス休みの予定をたいへん狂わしたのではないかと考えて、ひじょうに申しわけなく存じております。私はお約束したことをその通りに実行したいと願っていたのではありますが、とかくこのようなことはすべて、私たち自身の思うようにはまいらないものであります。そのときの定められた情況によっては、どうしてもそれにしたがうよりほかはないことがあります。

 私は今日は、とにかくできるだけをつくしてみますが、少ししかお話ができないかもしれませんので、その点はどうぞお許し下さるようねがいます。その代り、私ができるだけ十分にいい表わしたいと思う意味については、実験による説明をいたしましょう。もし今日の講演が終わったとき、次の週間には私のチカラがもっと回復してくることを考えに入れながら、この講演をつづける方がよいということが、みなさんによってみとめられましたならば、もちろんみなさんの意見にしたがって、この話のつづきを進めて行くか、または別の話にうつるか、どちらでもあなたがたが適当とお思いになる順序にしたがってやって行きたいと思います。今日は、私は病気―といって単にカゼなのですがーのためにどうも少し弱ってはおります。


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解説 森裕美子


このとき、ファラデーは68歳。

そりゃあ風邪ひいたらしゃべるのはつらいで。

これは1859年にファラデーが実演したクリスマスレクチャーの冒頭の部分や。

この次の年のクリスマスレクチャーが、かの有名な『ロウソクの科学』の講演ですわ。


おもしろい講演やったから、これを本にしたら売れるやろなあ、と考えたのは「序文」を書いてるウィリアム・クルックス(真空放電のクルックス管で有名や)。

今みたいに録音機はなかったから、記録を速記する人を雇ったんかなあ。

この記録は臨場感ある。

ファラデーのていねいな言い訳まできちっと書いてはる。


ファラデーは化学者でもあったし、電磁気学でもぎょーさんの発見をしてる。

この講演のお話のテーマは「力」やねん。

今でゆうたらエネルギーのことかなあ。


化学エネルギーが熱エネルギーに変わったり、電気エネルギーに変わったりするやろ、

逆もあるでー、ほらなーって、次々実験して見せてくれるねん。

ファラデー自身も実験ショー見て、科学の道に進んだ人やったからやりがいを感じてたんやろなあ。


実験内容は、どれも当時では最先端のレベルやったはずや。

そやけど、今では、この本に出てくる実験と似たような実験を学校や科学館でやってたりするで。

この本があるからお手本になるしな。

理科ハウスでも毎年12月には、『ロウソクの科学』の実験をやってんねん。

人気あるで。

これもファラデーさんのおかげやな。ありがとうな、ファラデー。


2021年10月10日


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第七回

『生命とは何か』 P17

エルヴィン・シュレーディンガー/著

岡 小天・鎮目恭夫/訳

岩波文庫 2008年発行

P17

 この「きまじめな物理学者の考え方」を進めてゆくうまい方法が一つあります。それは、風変わりな、人をばかにしたような疑問、「原子はなぜそんなに小さいのか?」から出発することです。そもそも、原子というものは実際まったく小さなものです。われわれが日常生活で取り扱うものは、どんな小さな一片の物質でも、とほうもなく多数の原子を含んでいます。このことを人々にピンとわからせるために、いろいろな説明の仕方が今までに工夫されてきましたが、ケルヴィン卿の次のようなたとえほど印象的なものはないでしょう。いま仮に、コップ一杯の水の分子にすべて目印をつけることができたとします。次にこのコップの中の水を海に注ぎ、海を十分にかきまわして、この目印のついた分子が七つの海にくまなく一様にゆきわたるようにしたとします。もし、そこで海の中のお好みの場所から水をコップ一杯汲んだとすると、その中には目印をつけた分子が約100個みつかるはずです。


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解説 森裕美子


コップ一杯の水の話はいままでに何回か聞いたことあったんや。

これな、誰が最初に言いはったんか、知りたかってん。

ケルビン卿(ウィリアム・トムソン)やってんなあ。

絶対温度の単位になってるケルビンやで。


これ、ほんまにそうなるんか、計算してみたなる。

ケルビンが言うてるからまちがいないで、と思うのはあかん。

科学者かてまちがえることあるしな。


ほんで、私の計算の答えは770個くらいやった。

「100個みつかる」やから、まあ、まちごうてないわ。

けど、答えが100個としても1000個としても水の一滴にも到底たらんけどな。


理科ハウスでは、こんなふうに研究者もやったんやろうなと思う計算を、みんなでやってみたりしてんねん。

ちょっとだけ科学者に近づけた気がしてええと思いますわ。

もちろん、計算が簡単なときだけやけど。


この本は量子力学で超有名なシュレーディンガーが書いたんやけど、物理学者が生物学の本を書くってめずらしいやん。

本人もまえがきで、掟やぶりやけど許してちょ、て書いてるねん。

けど、ワトソンとクリック(この二人はDNAの二重らせん構造を見つけた)は、この本にめちゃくちゃ影響されたんやって。

もし、読んでなかったらDNAの研究はせーへんかったかも。


そやから、掟やぶりでも書いてくれてよかったやん。

日本の科学者もこの本に影響されてたっていうから、もう名著とゆうてもええんちゃう。

シュレーディンガーが分子生物学への扉をあけた、とゆうこっちゃ。

薄い本やから、飛ばし飛ばし読めば誰でも読めますわ。


2021年10月3日


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第六回

『第三冬の華』 P86「寺田先生の追憶」から

中谷宇吉郎/著

甲鳥書林 1941年発行


P86

 先生はどんな人でも憎んだり、避けたりされるようなことはなかった。沢山の学生の中には、随分気障な男や、内攻的な打算家などもあって、私たち仲間ではいやな奴となっていた男でも、先生はよく親身になって面倒を見て居られた。もっとも時々癇癪を起こされることもあったが、その後ではいつも「今の若い連中には、無限に気を長く持たなければならないようだ。それぞれ長所はあるんだが」と言って居られた。

 そういう気持ちの先生でも、矢張り憎悪に近い感情を持たれた一種の人たちがあった。それは、道徳とか愛国とかいう最も神聖なことを売り物にして、それで生活の資を得ている人たちに対してであった。その頃物理の畏敬すべき先輩が恋愛事件で失脚されたことがあった。その事件をいつまでも如何にも楽しそうに蒸し返し繰り返して非難することによって、自己の道徳が堅固であることを誇示するつもりになっていた先生方が、大学の中にもあったそうである。それからこれも末期の現象の一つであったのであろうが、東京の下町などには、女髪結のような職業の人たちにいやがらせをやって生活していた自称愛国団体の下っ端の連中があった。こういう人たちの話が稀に出ることがあると、先生は妙に興奮気味の口調で「僕はああいう人たちには、どうにも我慢が出来ない」と言われた。そして「寺田君の説によると、泥棒をする男は皆善人なのだそうだ」という風に意地の悪い人たちから言われても、平気な顔をして居られた。これは推測であるが、そういう風に言われると、却って内心少し御得意のようでもあった。


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解説 森裕美子


「寺田先生」というのは、物理学者であり、俳人、随筆家の寺田寅彦。

中谷宇吉郎は寺田の弟子、雪の研究で有名やな。

別におもろないで、このエピソード。

そやけどこれは書いとかなあかん。

これはうちのファミリーヒストリーやから。

文中の「恋愛事件で失脚」したんは石原純のことやねん。


石原が歌人・原阿佐緒と不倫。

大正10年7月30日の東京朝日新聞2面にデカデカと写真入りで載ったんや。

記事の内容は事実とはけっこう違うかったみたいやけどな。

じーちゃん、真面目な性格やったから,恋愛に対しても真面目やった。

おかげで家族は大変やったみたいやけど、「大変」のほとんどは周りの目のせいや。

私も学生時代に教授陣に呼び出されて質問されて、ちょっといややった。

そのとき初めて「じーちゃん、不倫でこんなに有名なんや」と知ってん。

人の恋愛てそんなに気になるもんなんか。

そやから寺田寅彦、援護してくれてはってんなあと思たら泣けるやん。


寺田と石原は岩波の雑誌『科学』の創刊にかかわっててん。

そんでどんな紙にするん? てなったときに、

石原が推してた紙に、「そんなツルツルなんはいややー」て寺田が言ったとか。

仲ええな。


(追記)「寺田先生の追憶」はインターネットの青空文庫で読むことができます。

似ている題で「寺田寅彦の追想」もあるのでご注意ください。

2021年9月26日


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第五回

『科学者の自由な楽園』 P30、P138

朝永振一郎/著

江沢洋/編

岩波文庫 2000年発行


P30

 「繰り込み」理論の話が出ましたから、ちょっと、私は「くりこみ」とひらがなで書く習慣があるんですが、そうしたら、それを書いた校正刷りがきまして、それを見ましたら、「しりごみ」になっているんです。「しりごみ理論」と。つまんないことを申し上げて・・・・・。


P158

 中学五年生のとき、有名なアインシュタインが来日した。何もわからぬのにジャーナリズムはいろいろと書きたて、なまいきな中学生もそれに刺激されて、なんにもわからぬのに石原純先生の本などを手にしたりした。時間空間の相対性、四次元の世界、非ユークリッド幾何の世界、そんな神秘的なことが、このなまいきな中学生を魅了した。物理学というものは何と不思議な世界を持っていることよ、こういう世界のことを研究する学問はどんなにすばらしいものであろうかと思われた。


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解説 森裕美子


しりごみ理論は笑えた。

朝永振一郎は「くりこみ理論」でノーベル賞もらいはった理論物理学者。

そんなすごい理論をこんなエピソードにできるって太っ腹すぎるやん。

「くりこみ理論」は難しいから、私は説明でけへんで。

知りたかったら『量子力学と私』を読んだらええと思うわ。


科学者の自由な楽園、ていうのは財団法人理化学研究所のことや。

ふえるわかめちゃんの、りけん。

ビタミンAやわかめの売り上げのおかげでのんびりできたんかなあ。

月給はもらえて義務はないねんて。

令和の研究者が聞いたら、うらやましすぎて泣いてまうわ。


この本にはノーベル賞の受賞式のこととか、訪英旅行のこととか、いっぱい笑えるエピソードがあんねんけど、話が長いからここに書くのはあきらめましたわ。

この本のエッセイや講演の記録は読みやすいで。

量子力学みたいにわけわからん理論の説明を読むときは、めちゃ疲れるけどな。


ほんで、でたー! 石原純! 

うちのじーちゃんや。

これは、理科ハウスに関係あるから書いとかなあかんエピソードやった。

ノーベル賞もらいはったあの人もこの人も、ほんでノーベル賞をもろてないぎょうさんの人に影響与えたんや。

これ、すごいことちゃうの?

けど、そんなすごい人やったって、私は40歳近くになるまで知らんかった。

孫としてどうなん?

まあ、科学史エピソード書いて挽回しますわ。

2021年9月19日


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第四回

『完訳 ファーブル昆虫記1巻~10巻』 6巻上のP85

ジャン=アンリ・ファーブル/著

奥本大三郎/訳

集英社 2008年発行(第6巻)

P85

 私は五歳か六歳であった。家が貧しいから口減らしのために、先ほども述べたとおり、私は祖父母のところに預けられたのであった。

 その人里離れた農家の、鵞鳥や仔牛や羊のなかで、私の知性の最初のかすかな光が差しはじめたのである。

 それよりまえのことは真っ暗闇のようで、私には何もわからない。私の内部から曙の光が差しはじめ、無意識の暗雲が晴れて、いつまでも消えない記憶が残るようになったとき、私は本当に生まれたのだ。

 いまも自分自身の姿がはっきり目に浮かぶ。私は粗い布の子供服を着ていた。裾を引きずっているので、裸足の踵のところは泥だらけになっていた。腰に締めた帯に紐でぶら下げたハンカチのことを覚えているが、このハンカチをよく失くしたものだ。それで、その代わりに服の袖の裏側で何でも拭いたのだった。

ある日のこと、幼い私は両手を後ろに組み、太陽に向かってさっきから考え込んでいた。まぶしい輝きが私をとらえていて、私はランプの灯りに惹きよせられた一頭のシャクガであった。私がこの燦々とした輝きを受けているのは、口で、なのか、それとも目で、なのか?

 これが、芽生えはじめた私の科学的好奇心から出された問題なのであった。読者よ、笑わないでいただきたい。未来の観察者はもうすでに練習し、実験しているのである。私は口をあんぐりと大きく開け、目を閉じてみた。輝きは消えた。目を開いて口を閉じてみた。輝きは再び現われた。私はそれを繰り返してみた。結果は同じである。

これで決まりだ。つまり、私は“自分の目で太陽を見る”ということをはっきりと知ったのである。ああ! なんと凄い発見だろう! その夜、私は家じゅうのものにその話をした。祖母は私の無邪気さに優しくほほえんでくれた。ほかのものたちは馬鹿にして笑った。世間というのはこんなものである。


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解説 森裕美子


今回はダーウィンが「類いまれな観察者」とゆうてたファーブルの本やで。

ファーブルは進化論には反対してたけど、二人は手紙のやりとりをしてたんやな。

英語とフランス語で大変そう。

ファーブルは、自分が虫好きなんは遺伝なんか?と祖父や祖母や親を振り返ってみたけど思いあたらん。

小さい頃を思い出して、上のエピソードを書いたんや。


なんや、最初の発見は虫とちゃうやん!

そやけど、観察力、普通やないな。

昆虫学やのうて、別の分野でも科学者になれたと思うわ。

実際、コルシカ島で物理の先生にもなってはった。


『ファーブル昆虫記』に出てくる虫の話は、観察→仮説→実験→考察がめちゃ多いねん。

とにかく実験がすごいわ。

そこまでやるかー、のレベル。

虫に詳しい人にはたまらんやろな。


私が感動したのは、91歳までの波瀾万丈の生き方やね。

子どもや自分より40歳も若い妻が先に亡くなりはったんは辛かったやろなあ。

本の訳をやりはった奥本大三郎さんは、東京都文京区千駄木にあるファーブル昆虫館(虫の詩人の館)の館長さんや。

興味がある人は、コロナ禍が落ち着いたら行ってみてくだはれ。

2021年9月12日


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第三回

『ダーウィン先生地球航海記1巻~5巻』 4巻のP174

チャールズ・ダーウィン/著

荒俣宏/訳 内田春菊/イラスト

平凡社 1995~1996年発行

P174

 泉の近くでは、なんとも興味ぶかい光景がみられた。たくさんの巨大な陸ガメたちが、あるものは頭を前方につきだしながら必死に脚をうごかして旅をつづけ、またあるものは満腹するまで水を飲んでゆっくりと帰っていくのだ。

 陸ガメは泉にたどりつくと、付近になにがいようとおかまいなく、頭を目のところまで水にしずめて、一分間に十度ほどの割合で、ごくごくと口いっぱいに水を飲む。

 住民からきいたところ、陸ガメたちは泉のあたりに三日から四日とどまったあと、低地にもどるのだという。かれらがここへやってくる頻度はまちまちである。おそらくは、ふだん生活している場所でたべているものの性質によって、水場へおもむく回数がきまるのだろう。しかしながら、この動物たちは、年間にほんの数日、雨がふる以外にまったく水気のない島でさえ、確実に生きていける。

 カエルの膀胱が、生きるのに必要な水分をたくわえる機能をはたしている事実は、ひろくみとめられていると思う。どうやらおなじことが陸ガメにもいえるらしい。なぜならば、カメたちは泉に着いた直後、膀胱がしばらく水をたくわえてふくれているのに、すこしずつその容積がちいさくなり、なかの水も純度が落ちてくるからだ。ここの住民は低地をあるいているときにのどがかわくと、この現象を参考にして、カメの膀胱がじゅうぶんにふくれている場合にそのなかの水を飲むようにしている。わたしの目前でころされた陸ガメの場合、なかの水はすきとおっていて、かすかに苦い味がするだけだった。しかし住民たちはさいしょに頭骸骨膜のなかにある水を飲む。これが最良なのだそうだ。


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解説 森裕美子


飲んだんかい!

ダーウィン、ワイルドやん。

まあ、そのくらいのことはなんでもあらへん。

そやないとこんな大冒険はでけへんな。

この航海はダーウィンの人生を変えたんや。

かの有名な『種の起源』はこの経験が元になってるからなあ。

上に登場する陸ガメはもちろん、ガラパゴスゾウガメのことでっせ。


ダーウィンは動物や植物や生き物のことはよー知ってるんやろなー、くらいはなんとなくわかるやん。

けど、もっと詳しいのは地形とか地層、化石とかやってん。

そらそやな。

もう死んでしもた生き物は化石になってんねん。

地面の中のこともぎょーさん知ってんとあかんやろ。進化論やから。


この全5巻の本の中身は全部がエピソードやねん。

エピソードだらけの本。

ほんで、ダーウィンを一番驚かせたんは、フエゴ島に住んでた「フエゴ人」。

うちらと違う文明を持ってたフエゴ人。

文明の進化についても書いてるで。

すべての人が平等にあつかわれている社会では文明の発達を遅らせる、てゆうてんねん。

フエゴ人はみんなが物を分け合うねん。

どひゃー!

これにはびっくりしてしもたなあ。

2021年9月5日


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第二回

『素粒子はおもしろい』 P14,P82

益川敏英/著

岩波ジュニア新書 2011年発行

P14

 翌日、いつもどおり、午前10時すこし前に大学に着きました。小林くんが10時ちょうどにやって来ました。「四元ではダメだという論文ではなく、六元にしたらうまくいくという論文にしよう」と提案したら、小林くんも一瞬だけ考えて「あ、そうですね」とOKの返事が来ました。それで、論文の骨子が決まったのです。

 四ページの短い論文だったので、手早い人だったら、二~三日間で書いたかもしれません。英語には「ハードワーカー」という言葉があって、「ソフトワーカー」という言葉はないそうですが、私は基本的にソフトワーカーです。一ヵ月ぐらいかかって日本語で論文をまとめ、こんどは小林くんがそれを参考にしながら、英語で論文を書きました。小林くんが思いきって削ったので、最終的には分量が半分ぐらいになっています。


P82

 私の似顔絵が饅頭に描かれた「名大饅頭」が名古屋大学の生協で売られています。私はこれはなかなかセンスのいい試みだと思っています。学生たちに「益川、かじっちゃえ。ノーベル賞なんか、食っちまえ」とハッパをかけているわけですから。

日本だけかもしれませんが、偉人の姿とか名前を書いたものに人格が宿るとして崇拝します。なにも偉い人が名前を書いたからといって、それを破ろうが燃やそうが何でもありません。夜中に藁人形に釘打ちして相手を呪い殺すというようなことがあるといわれていますが、そういう言霊の世界は科学とはあいいれません。

 もっとも、私は甘いものは嫌いなので、名大饅頭を共食いすることはありません。かじっている写真を撮らしてくれというので、かじる格好をしたことはありますが。


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解説 森裕美子


名大饅頭食べてみたい。

7月に亡くなってしもうたから、もう饅頭でしか会われへん。

こんな写真のリクエストにもこたえてくれるなんて優しい人やってんな。

益川さんは理論物理学者。

上の本は、素粒子の本やけどコラムがたーくさんあって、益川さんの人柄が、ほんま、よーわかるで。

素粒子の説明はわからんかってもええねん(文中で益川さんもそうゆうてはる)。


いっしょにノーベル賞をもろた小林誠さんの著書、『消えた反物質』も紹介しときますわ。

Bファクトリー(B中間子を作る高エネルギー加速器)の実験結果が出る前、要するにノーベル賞もらう前に書きはったんや。

この本を読んでも小林さんのことはぜんぜんわからん。まじめな本や。益川さんがまじめやない、というてるのとはちがうで。性格の違い。

複素数が出てきてちょっと難しいけどな、わかるとこもあるで。


この二人が何をやったんか。

これ、ちゃんと人にわかるように言える人はなかなかおらんやろ。

そやからわかりたかってん。自分なりにな。

ほんで、理科ハウスの生解説動画「原子のなかみ」を作ったんや。

これがなかなかよーできてんねん。

二人はただのおじさんにしか見えへん人が、これ聞いたら「めちゃかっこええ科学者やん」になるねんで。

中身を見るってこういうことやんな。

2021年8月29日


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第一回

『熱き探求の日々』DNA二重らせん発見者の記録 P92-93

フランシス・クリック/著 中村桂子/訳

TBSブリタニカ 1989年発行

P92-93

今日では、DNAが何であるか知らない者はほとんどいない。たとえ知らなくとも、それが「化学的」とか、「合成」などと同じ「汚らわしい」言葉に違いあるまいぐらいのことはわかる。その中に、幸いワトソン、クリックというふたりの人物がいたという事実を覚えている人がいてはくれても、この二人を区別のできる人はあまり多くない。熱狂的なファンだと言い、あなたの書いた本は実に面白かったという人にどれだけ会ったことか。もちろん例のジムの本のことだ。しかし、こんな時にそれは私ではありませんなどと説明しないほうが良いことは、これまでの経験から身にしみてわかっている。

もっとおかしなこともある。1955年にジムがケンブリッジに戻ってきたときのことだ。ある日私は、新しくキャベンディッシュ研究所教授に就任したばかりのネビル・モットと歩きながら、

「ワトソンをご紹介します。研究所に来ていますから」というと、教授は驚いたような顔をして私をまじまじと見つめ、

「ワトソン、ワトソンって? 私は君の名前がワトソン=クリックだと思っていたよ」と言ったものだ。


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解説 森裕美子


「例のジムの本」ていうんは、ジェームズ・ワトソンが書いてベストセラーとなった『二重らせん』のことやで。

DNAの二重らせんの構造を見つけるまでのたった約2年間のできごとを、人間関係のごちゃごちゃも含めておもしろーに書いてあるん。

そやけど、これはワトソンの偏見で書いてあるから、この本が出版された後に登場人物からめっちゃクレームがあったんやて。

そしたら次に、そのクレームの中身やたくさんの証拠を追加して「二重らせん 完全版」を出したんや。

ワトソンすげぇ。

「正直ジム」って呼ばれてんねんて。


一方、クリックが書いたのが上の本やで。

おんなじ登場人物が出てくるから、この2冊を読み比べるとよろしいわ。

ここはワトソンの偏見やってんな、とかわかってしまうで。

クリックもおしゃべりで有名やってん。

ふたりはええコンビやってんな。

ずーっと後にワトソンは『DNA』という本も書いてんねん。

遺伝についてまとめた本や。DNAの研究の歴史がわかりやすいし、ヒトゲノム計画にかかわったジムが自分の宣伝もちゃんとしてるとこが正直やと思うわ。

2021年8月22日


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